どうにもならない寂しさを乗り越えるたった一つの方法

ささとこ@メンタルレシピです。

薬の副作用で重度の不安障害を発症してわたしの人生は一変しました。


転げまわるような不安とパニックのなかで、否応なしに「不安」と向き合い、身が切れるほどに苦しんで、やっと克服しかけている「不安」との付き合い方を勝手にしゃべります。

寂しさは不安の前段階

実は寂しさとは不安の前段階です。
寂しさ<不安<恐怖、と進化します。

寂しさとはなにか。それは安心の対局です。

安心の対局とは「居ても立っても居られない感じ」で、
寂しさなら「一人でいられない」、不安なら「座っていられない」、恐怖パニックなら「立っていられない」感じで、要は自分自身にどっかりと軸をおろしてリラックスできてない状態をさします。

寂しさとは、自分の軸を失っている状態

不安と寂しさは本当によく似ていて、どちらもその場にいることがいたたまれなくなり、行動を起こさせます。

誰かに電話したり、恋人に会ったりといったように、人とのつながりを求める行動に出ます。

それ自体は悪くないのですが、その人に会いたくて会うのではなく、自分の中の欠損を埋めようとしての行動なので、しばしば問題を引き起こします。

急激に距離を縮めようとしてしまうのです。

1,2度会っただけの相手に親密な態度を取ったり、自分の秘密を話したりするなどして急激に距離を近づけてしまいます。

相手が真っ当な人であれば、適切な距離を保ってやんわりと拒絶してくれるのですが、相手もまた寂しさを抱えていた場合、二人は急激に距離を縮めていきます。

異性間であれば強烈な恋愛状態に発展するし、同性間ならべったりとした親友の状態になります。

なぜこんなに早く仲良くなるかといえば、とにかく寂しさを埋めたいから、という理由にほかなりません。

自分の軸を見失うほどに、相手を自分のように思いやり、また相手自身もそうであるように強烈に求めます。

その充実感は天にも昇るほどで、ようやく自分の半身を見つけたような高揚した気持ちになるのですが、そういった「寂しさ故に結び付いた相手」とはほとんどが後々どえらい結末になります。

ささとこも何度も手痛い経験をしており、思い出すだけでも泣きそうになります。

寂しさに振り回されて自分を傷つけないで

寂しさ自体はなにも悪くないのです。
だけれど、寂しさに急かされて行動することがいけない。

とくに社交不安障害や発達障害、パーソナリティ障害といった対人関係に問題を抱える人は、本当に本当に気を付けないといけないのです。

寂しさが強いと、その場しのぎで適当な人と結びついてしまい、相手を束縛したり束縛されたり、共依存の関係になったりと、とにかく苦しい思いをしてしまいます。

寂しさに裏打ちされた関係は、漂流中に飲む海水そのものです。
喉が渇いてたまらなくて海水を飲む、すると塩分で余計喉が渇く、仕方なくまた海水を飲んでしまう。

セックス依存症の人もこんな感じでしょう。
ひと時の優しさや安らぎ、親密さを求めてセックスに応じてしまう。けれどその関係は続かずまた新しい人を求める。その繰り返し。

凄く不毛ですごく苦しい…なのに繰り返してしまう。
この辺は依存の問題にもかかわってきます。

寂しいから食べる、吐く。寂しいからお酒を飲んでしまう。

寂しさは本当にいろんな問題を引き起こし、あなたの人生に軸を打ち立てることを許さず、あなたをゆらゆらと漂流させてしまいます。

寂しい人が失ってしまうもの

ささとこは不安の専門家(自称)なので、不安の前段階である寂しさにも相当注意を払っています。

寂しさを暴走させてしまうと不安が生まれてしまい、不安が生まれると、自分自身を見失ってしまうからです。

寂しい人が失うもの、それは自分自身です。
自分の道、自分の人生、自分のやりたいこと、そういうものがわからないまま、ただただ寂しさを、心の中の欠損を埋めるためだけにふらふらとクラゲのように漂ってしまう。

そんな苦しいことはない……。

マインドフルネスで自分に戻ればいい!

ささとこは偉そうに書いているわけですが、私はこの問題を一応乗り越えた自負があります。

そう、自分の持て余していた寂しさを暴走させないコツがわかりました。

一言で言えば自分軸に戻るのです。

寂しい時、不安な時、アクションを起こす前に自分に戻るのです。

私の場合は、ソマティック(身体的)な動作を行うことで、自分自身に戻って来れるようになりました(マインドフルネス)。

寂しさを感じたときのささとこのルーティーン
①肩と首が絶対固まってるので、力を抜く
②お腹を緩める
③全身が緩まる心地よさに浸る
④ゆったりとした呼吸に意識を集中する

私の場合は、これを行うとだいたい寂しさは消えていきます。
正確にはまだそこにあるんですが、取るに足らないくらい小さくなっています。

「まあ、こんな自分も悪くない」「あ、私は今幸せだな」と気づくのです。

自分で自分を癒そう

寂しい時、不安な時、あなたは友人や恋人だけがあなたを癒せると感じるかもしれません。

だけどあなた自身にも自分で自分を癒す力があることをぜひ気付いてほしい。
自分で自分を癒せるようになったとき、あなたは本当の意味で自由になれる。

ちっちゃな「好き」を追いかけて

泣けるほどよくわかるのだけど、「寂しさ」や「不安」を感じているとき、人は自分が空っぽで無価値のように感じます。

だからこそその空洞を埋めようと他人と結びつこうとする。

けれどもそれは砂上の楼閣のようなもの。あなたという芯が育たない限り、健全でしっかりとした人間関係は育たないのです。

大丈夫なんです、本当に大丈夫。
空洞の自分を自分で埋めていけばよいのです。

そのカギとなるのが「好き」という感情。

あなたの好きなものは何ですか?
わけもなく心惹かれるものはありませんか?

絵を描くのが楽しい、本を読むのが好き、コーヒーを淹れるときなんか落ち着く。
そういう日常の動作の中に、あなたの軸を作るヒントが隠されています。

寂しい時不安な時は、そういった小さな「好き」は見えてきません。
「寂しさ」や「不安」といった感情は脳の扁桃野という原始的な部分がつかさどっており本能に近いために、非常に強く私たちを支配します。

それに対して「自分が好きなこと」「やりたいこと」「興味のあること」は脳の高次機能に位置しており、原始欲求に比べると弱いのです。

だけれど、この「好き」を追及することで原始脳は高次機能を伸ばしていくことができ、理性や社会性といった人間として必要な自制心を育てていくことができます。

そう。
「寂しさ」に支配されている人は、原始的な欲求に左右されている人なのです。

おとなとしての「寂しさ」を目指す

ささとこはもともと不安の強い子供だったので、いつも寂しかったです。
別離不安といって、幼稚園の頃母親と離れるとずっと泣いていました。

そして薬の副作用で、パニック・不安障害が爆発し、全編不安という地獄に突き落とされその回復の過程で、不安な自分、寂しい自分と向き合ってきました。

ソマティックなマインドフルネスと出会い、自分なりに改良したことで、だいぶ改善されてきました。それが今の自分にとって自信となっています。

寂しさを治していく過程で気づいたことがあります。

「大人は皆寂しい」

ということです。

子供の頃、お母さんに抱きしめてもらったあの安心感。
あの万能感は、大人になってからは味わえなくなるのだということ。

寂しさに駆られて安易に人と結びついていた時は、その瞬間は非常に強い麻薬的な安心感・高揚感が得られました。

ささとこは、その高揚感をずっともとめてさまよってたわけなんですが、マインドフルネスと出会う中で、それはいつかさよならすべきものなのだと悟っていきました。

寂しさは時折あるのです。
だけど、それはそれでよく、放置しておけば勝手に去っていきます。

やみくもになって死に物狂いで寂しさを埋めようとしない、なぜならそれが自分の人生を悪い方向に向かわせるものだと気づいているから。もしくは他人を尊重した行動でないと気づいているから。

ささとこは、「大人は皆寂しい」というフレーズを気に入っています。

そう、皆寂しいんです。

その寂しさは、なんていうのかな、わりと良い感じの寂しさで、寂しいけれど風通しも良くすっきりとした寂しさなのです。

べたべたしてない。

多分自立する、自分で決める人生というのはこういうことなんだろうな、と思うのです。

寂しさに人生のかじ取りをさせない、
そんな風に生きていきたいと思ってます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました